独特のカメラワーク
月永理絵(以下、月永) 私が『17歳の瞳に映る世界』を見てまず感じたのは、女性の中絶という出来事をこんなふうに描けるのか、ということでした。昨年、セリーヌ・シアマ監督の『燃ゆる女の肖像』(19)での中絶場面の描かれ方が話題になりましたが、さらに新しいものが誕生したなと驚きました。

『燃ゆる女の肖像』
佐々木敦(以下、佐々木) この映画ってあらすじを聞かれたら2行ぐらいで説明できちゃいそうなシンプルな物語だけど、それをとにかくじっくりと撮ってるのが大きな特徴ですよね。それからあまりアメリカ映画っぽくないというか、ありがちな映画的な文法とは全然違うものを見せられているなという感触がありました。地味だとも言えるけど、それゆえに何度見直してもいろんな細部を楽しむことができる映画ですね。

『ブルックリンの片隅で』
月永 エリザ・ヒットマン監督は、前2作(『愛のように感じた』『ブルックリンの片隅で』)で若者たちの性への衝動をテーマに撮っていますが、本作ではそのもう一歩先を描き、視点もより客観的なものになっていて、大きな飛躍を感じました。

監督:エリザ・ヒットマン
第2作『ブルックリンの片隅で』でサンダンス映画祭の監督賞を受賞し、注目を集めた。本作『17歳の瞳に映る世界』でベルリン国際映画祭銀熊賞、サンダンス映画祭ネオリアリズム賞を受賞するなど、活躍目覚ましく、本年のロカルノ国際映画祭の審査委員長を務める。

『愛のように感じた』
8月14日より、シアター・イメージフォーラムほか全国で順次ロードショー
佐々木 単純な物語という点は1作目から変わらないですよね。むちゃくちゃな盛り上げ方をしたり、先が読めない展開を設定したり、観客を引っかけるフックを置いたり、そういう無理な上げ下げが全然ない。非常に普遍的な物語で、時代が現代なのかどうかすらわからなくさせる。よけいなものはいっさいない。じゃあ何があるかというと、ただ演技と演出とカメラがある。

月永 前作に続いて撮影を担当したエレーヌ・ルヴァールの存在は大きいでしょうね。彼女はアニエス・ヴァルダやクレール・ドゥニ、アリーチェ・ロルヴァケルといった女性監督たちとよく仕事をされている人です。
撮影:エレーヌ・ルヴァール
アニエス・ヴァルダやヴィム・ヴェンダース作品を手がけるフランスの女性撮影監督。エリザ・ヒットマン監督とは前作『ブルックリンの片隅で』に続くタッグ。
佐々木 作家的個性が非常に強いカメラワークで、ハリウッド映画とは違う論理で動いてるように感じました。もっとプライベートな感覚で動きが設定されてるというのかな。僕はどこかロベール・ブレッソンに似ているなと感じました。ブレッソンは、人の身体の手元や足元とか、ある部分にぐっと寄って撮ることでその人の感情みたいなものを開こうとする。でもできあがった映画にはある種の客観性が常に残る。そういう近さと遠さの遠近法みたいなものがヒットマン監督にもある。もちろんそこで出てくる感情のあり方は両者全然違うんだけど。だから一番強烈に印象に残るのはあの駅でのシーンなんです。オータムとスカイラーが握り合う手がアップになる。彼女たちの心の動きやその後の顛末はほぼ描かれず、徹底して手の部分だけを写すことで描いてしまう。
ロベール・ブレッソン
https://balthazar-mouchette.com/index.html#
今もなお、世界中の映画ファンのみならず、映画監督たちも賛辞を贈る映画監督。『少女ムシェット』をはじめ、数多くの傑作を世に送り出した。
月永 素晴らしいシーンですよね。もう、この映画は二人の人物が手を握り合うことについての映画なんだと言い切ってしまいたいくらい。そもそもフレーム内の情報はすごく少なくて、基本的に彼女たちの身体と周囲1メートル程度のものしか映らない。ただ手持ちカメラでずっと主人公を追い続ける緊迫感とはまた違う。

佐々木 基本的に手持ちだし、カメラはずっと対象に寄ってるんだけど、決して追い詰めてる感じでも冷徹な感じでもなくて、本当にその人に寄り添っている感触がありました。主人公たちの感情が極まると、カメラが感情的に反応していた瞬間もあった。彼女たちのお芝居がまずあって、そのすぐ近くからじっと見つめているような、親密さを感じるカメラワークですね。
オータム:シドニー・フラニガン
ニューヨーク州バッファロー出身。エリザ・ヒットマン監督のパートナーであり、編集も手掛けるスコット・カミングスが自身の映画撮影時に14歳だったシドニーに出会い、交流が生まれたことから出演に至る。starjuiceというバンドを率いるボーカリストでもある。

スカイラー:タリア・ライダー
ニューヨーク州バッファロー出身。若くして短編映画の製作総指揮を務めたこともある。今は出演作として、S・スピルバーグ監督最新作『ウエスト・サイド・ストーリー』が控える。本作の撮影時は16歳だった。
最小限のものだけに抑える潔さ
佐々木 観客が知りたいと思う大事な部分ははっきりとは語らず、最後まで踏み込まないですよね。小説でも、語らないことによって読者が想像力を働かせていく作品はよくあるし、この映画も答え探しをしたくなる部分がたしかにある。でも監督がその正解をあえて隠し、見る人に謎解きをさせようとしたわけではないと思う。それよりも、語られていないことのなかに生まれる豊かな余地を大事にしている気がする。あらゆるメディアで説明が重要視されるいま、その真逆をいくのはすごく勇気がいることだし、結果としてそれが映画の豊かさにつながっていると思います。

月永 監督の視線に一番近いのはニューヨークのヘルスセンターの職員たちだと思います。あそこで働く人たちは、日々、診察を受けにくる女性たちと色々な話をするけど、結局は限られた情報しか知り得ないわけです。彼女たちが妊娠していて中絶を望んでることはわかるけど、どういう状況で妊娠したのか、どうして中絶したいのかまで踏み込む時間はない。最小限の情報で一番必要なことを判断し最善を尽くさなければいけない。そうやって一人の少女を助けるんだというプロフェッショナルな彼女たちの姿勢は、まさに監督自身の覚悟じゃないでしょうか。オータムの抱える問題の核心には踏み込まない代わりに、いま目の前にあるものを逃さず撮る潔さ。この映画で私が感動したのはそこなんです。妊娠したオータムの主観で描くでもなく、過剰にドラマチックにするでもなく、数時間しか関われない人たちの存在を通して中絶というものを描く。本当に革新的な映画だと思います。
佐々木 こういう問題を扱う映画は、彼女たちの事情や背後にあるものを言葉によって説明したくなるものだけど、ここではカメラワークと俳優の佇まいだけで写し出していく。台詞も最小限に抑えているし。カウンセラーとの面談シーンでは、映画の原題になったある言葉が出てくる瞬間にすべてが集約されていますよね。あれが答えであると同時に、もっと深い謎を提起する瞬間でもあって。あんな短い言葉のやりとりだけで見せるって凄まじいなとびっくりした。一方で日本語タイトルも意外と大事なことを言い得てるかもしれない。カメラが彼女たちを見つめている一方で、彼女たちの瞳に映るものをカメラが代わりに見てあげてる部分もある。
月永 田舎から大都会に来ても結局見えてる景色はそんなに変わらず、街の色も同じ。なるほど、17歳の少女の瞳に映る世界はこれくらい狭いのかと感じました。

佐々木 余談だけど、オータムの母親役のシャロン・ヴァン・エッテンが作った『セブンティーン』という曲があって、その歌詞が映画とどこか繋がる部分があるんですよね。17歳という年齢も映画にとって重要な気がします。

「Seventeen」/シャロン・ヴァン・エッテン
2019年の楽曲で、オバマ元大統領のプレイリストほか、各音楽誌のその年のベストテンに選出された。本作の予告編にはワールドワイドで『Seventeen』が使われている。
客観性と親密さ
佐々木 アメリカ映画らしくないと言いつつ、エリザ・ヒットマンと一緒に現代のアメリカの映画作家として挙げたくなるのはやはりケリー・ライカート。ヒットマン監督のインタビューを読むと彼女は完全にフェミニストだけど、その思想を全面に押し出すというよりちょっと引いた距離感で撮っている。客観性と親密さの間でうまく距離感を取っているところに、二人の共通性を感じました。

ケリー・ライカート
https://www.kelly2021.jp/
現代アメリカ映画の最重要映画監督と目される女性映画作家。米国インディペンデント映画界において、非常に意義深い作品を送り出しながらも日本では知られる機会が少なかったが、まもなく日本でも特集上映が行われる。

月永 監督がこの映画を撮りたいと言った時、「そういう題材はドキュメンタリーとして撮るべきで、フィクションとしては成り立たないよ」と言われたそうです。フィクションでは無理というのはつまり興行的には成立しないということで、映画界では未だに女性にとって重要なテーマを軽視しているわけですね。でも彼女はこのシンプルな話を1本のフィクション映画として見事に作ってみせた。そのこと自体が、確固とした態度表明だと思います。

佐々木 突飛な連想かもしれないけど、ヒットマン監督がこれまで描いてきた映画の物語って、日本の昔のロマンポルノやピンク映画にありがちなもののように思うんです。思春期の少年少女たちの性への目覚めとか、悲劇のヒロイン的な少女の物語とか。だけどロマンポルノやピンク映画の監督は男性なわけです。それを女性監督が撮ることによって、男性目線から見た少女の悲劇性というメロドラマ性を全部排除している。かといって殊更に同性の共感を求めているわけでもない。そこが本当にすごいと思うし、感動します。まったく新しい映画である一方で、十年後、二十年後に見てもある種の普遍性を持つ作品だなと思いますね。

佐々木敦
思考家。作家。音楽レーベルHEADZ主宰。文学ムック「ことばと」編集長。映画美学校言語表現コース「ことばの学校」主任講師。映画関連の近著として『この映画を視ているのは誰か?』『ゴダール原論』がある。
月永理絵
1982年生まれ。映画ライター、編集者。雑誌『映画酒場』『映画横丁』編集人。『朝日新聞』『週刊文春』『メトロポリターナ』『CINEMORE』などで映画評やコラム、取材記事を執筆。また映画パンフレットや書籍の編集も手がける。WEB番組「活弁シネマ倶楽部」でMCを担当中。